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忘れない3.11活動レポート
【2012.3.11】

早朝からMINMIは宮城県名取の閖上へ向かった。

仙台駅から海の方へ30分車で走ると景色が一変

港までの道のりには
瓦礫が撤去され綺麗に更地になったところや
家のあった形跡の跡地に献花を捧げる人々、
流された船が乗り上げたままの田んぼ、
あの日のまま時間が止まっている風景が入り交じってた。

そんな中、希望の光を指すようにこの港で今日だけ復活する“朝市”に県内外か
らたくさんの人が集まり賑わいました。

その市場の横のステージは慰霊祭の催しが行われMINMIも出演した。
あの震災から1年。
何度か訪れたこの街の人たちは皆「おかえりー!」と迎えてくれた。

MINMIの歌で音楽が自然と心を温めほぐすように笑う人や泣く人
生き生きとした表情が今一緒に生きていることを深く実感させた。

そしてその後LOVE FOR NIPPONでお預かりした物資を届けに仮設住宅に訪れた。
そこでMINMIはそこの人たちと手を繋ぎ黙祷の時間を迎えた。

次の日、ある幼稚園の跡地に向かった。
その幼稚園は3月11日が卒園式だった。

その日以来会えなくなってしまった先生や園児
地元を離れバラバになったみんなに歌を歌いに行ったのだった。

忘れない3.11活動レポート
【2013.3.11】

この日の宮城県は空気は冷たいが
真っ青な綺麗な空でとても快晴でした

園舎が潰れ、世界中からのユニセフへの寄付によって建てられた素敵な木造の新しい園舎

園長先生は世界中の愛でできた園舎の中でゆっくりとお話された
11人の犠牲にあわれた子供や先生方のお話
ご遺族の心情
これからの防災や子供たちの命を守る活動
子供たちの心のケアに精をだされているというお話


亡くなったお子様のひとりそのご遺族と一緒に作られた歌
ひまわり。
大きな声で子供たちが歌う

ビックスマイルを咲かそう
君と僕とのお約束

そんな前向きな素敵な曲

最後に子供たちはMINMIに
「いつもにこやかに笑っていよう でも泣いたっていいんだよ」
そんな合言葉を言ってくれました


そしてLOVE FOR NIPPONから私へと預けてもらった
全国からの祈りと応援を届けにいった
一年前や二年前の涙溢れるライブと変わってきていた
涙を枯らすほど泣いている人、涙をふいて前を向いている人
全員同じ歩幅ではないかもしれないが
しっかり前を向こうと生きている強さとパワーを感じた

ようやく瓦礫が撤去された、ガランとした景色に残る校舎閖上中学校では追悼の式典が行われていた

地震発生時刻に捧げる黙祷を前に司会の方は話した
「あの日 あの時間を思い出してください
あなたはどう過ごしていましたか?
どんな行動を起こしましたか?
あの日の夜の雪を覚えていますか?
次の日の空が青かったのを覚えていますか?
しっかり思い出して 現実を受け止めましょう
そして 前に進みましょう」

本当の意味で乗り越えるということは辛いことに目を背けてはいけないということなのか
その司会の方は、克明にその地震の恐怖や哀しみさえも思い出すよう促した

そして2時46分
大きな音でサイレンが唸る中みんな手をあわせ黙祷しました
サイレンの音はお腹の底からつきあげるように響き感情もつきあげる
何も考えていないのに涙が溢れ出す

地震発生
あの時のあの瞬間と今とを繋げるように
海に 空に 散った魂と
今を生きる私達を繋げるようにサイレンが鳴り響く

震災以降バラバラのお友達とももういちど会って前向きな出発を約束したいと行われた1年後のお別れ会
そんな特別な会に去年呼んでいただいた
天国のお友達と先生にみんなで歌ったピンクぼうしのドレミファソ

金スマという番組でその様子が放送され
たくさんの人たちから寄せられた反響

亡くなった先生と子供達との話は涙だけで終わらなかった
見てる方々にあたたかい気持ちを与えたのはきっと
天国から見守るリエ先生や子供たちが
今を生きる子供たちをあたたかく照らすように見守ってることが分かったから

献花のもとに集まった園長先生や父兄の方々
そして金スマスタッフの方々もプライベートでお花を持って来られていました

忘れない3.11活動レポート
【2014.3.11】

3年目の3.11

震災後から何度も訪れている宮城県の被災地
閖上で行われた追悼式に行った

2時46分
大きなサイレンが響くなか黙祷
震災後から被災地を訪ね、毎年この時報とともに黙祷している
言葉にならないすごい大きな気持ちが揺さぶられる

悲しみや恐怖、生と死、生々しい感覚のなかに今を生きている実感
生きなきゃいけない実感
生きていること自体がどれほどのチャンスかを思い知らされる
それを伝えたい
ということからツイキャスで生配信をした

きっと、少しは被災地から離れた皆さんにも何か感じてもらえたかと思います

黙祷のあと空の向こうまで届けとメッセージが書かれた風船を飛ばした
MINMIは
閖上に来て出会った方、お話をしてくれた方
犠牲者の方々に感謝と今日の精一杯生きる気持ちを書いた

三年経っても 何年たってもさみしさ 悲しみは変わらない
今でも帰って来られないお子さんが心配でしょうがない
そんな遺族の方の挨拶もありました

三年目の閖上
目に違って映ったのは
こどもたちみんな元気に大きくなっている、女の子たちが綺麗になっている
まだ荒れ果てた被災地の港町、閖上
この秋から住宅が造られる準備が始まるそうです

そして夜は
「忘れない3.11」というタイトルで仲間たち
MINMI / RED SPIDER / KENTY GROSS / BES / 若旦那 / HAN-KUN / 石崎ひゅーい
が仙台Rensaに集まりイベントをした。

3.11を忘れない
ということは地震の教訓や悲しい辛い思い出だけでなく
3.11から始まる
新しい出逢いや大きな夢の始まりもある

そんな風に希望を込めてこの夜MINMIはライブをした

そして収益金の一部は、東日本大震災の復興支援の活動資金として寄付された

忘れない3.11活動レポート
【2015.3.11】

たくさんのメッセージを書かれた風船

鳥のように青空に羽ばたいた

宮城県名取市閖上

今年も津波被害の大きかった閖上の港町にある閖上中学校での追悼式に参加した

震災後、閖上の朝市の復興イベントや閖上若葉幼稚園の皆さんへ歌う機会を頂き何度か訪れている街
ここで沢山の人の沢山の経験を聞かせてもらった

中学校の時計の針はあの日のあの時間2時46分で止まったまま

追悼式では毎年ご遺族がお話される

世間では震災から4年一区切りだと言う。
しかし、四年たっても息子と会えないまま
あの日から同じ
昨日、今日、明日
何の区切れもできていない

区切れができるとするなら
それはもう一度息子と会えた時

あれから四年
生きていれば思春期を迎えている頃
どうしていますか?
恋をしていますか?

と尋ねる遺族の方

前を向いて進んでいる方もいれば
前に進めずにいる方もいる

あの日以来会えなくなった家族を待ち続け
立ち止まったままの方もいます

2時46分
けたたましく大きなサイレンの音が街中に響く
叫び声が聞こえてきそうなほど地鳴りするサイレンの響き
毎年この瞬間、沢山の魂の叫び声の裏に
生かされたものへの強い 強い 何かを感じる

この日ネズミ色の曇り空から雪がチラつく中
空へと風船の鳥を放つ瞬間
閖上の空が一面、綺麗に青く冴え渡った

それは天国みたいな綺麗な空だった
きっと天国に行った方々と繋がってるんだろう
そんな風に感じる青空だった

その後3年前に訪れた時に妊婦さんだった方が話しかけてくれた

あの時お腹にいた子です
こんなに大きくなりました、と

海のお仕事をされている旦那様
何とか生き延びよう!とやってきた3年間
布団と屋根はやっと揃ったがまだ元の暮らしは程遠い生活
今が一番しんどいです
と弱音を打ち明けてくださった

MINMIは
頑張ってください。
まだまだやれます。
と声をかけた

そして夜は「忘れない3.11」というタイトルで
MINMI / RED SPIDER / KENTY GROSS / BES / 若旦那 / HAN-KUN / BK Sound / APOLLO
が仙台Rensaに集まりイベントをした

仙台の方ではない人たちにも現状を知っていただくために
被災者の方にステージに上がりお話をしていただいた

そして収益金の一部は、東日本大震災の復興支援の活動資金として寄付された

忘れない3.11活動レポート
【2016.3.11】

震災から5年経った3.11

毎年行っている閖上にMINMIは足を運んだ

閖上はかつてにぎわった港町
住宅も中学校の校舎も取り壊され
毎年閖上中学校で行われていた追悼式も
今年は慰霊碑の前に集まって黙祷を捧げた

あの頃の中学生は成人する年

5年が節目でもなんでもない
という気持ちの親御さんもいました

みんなで空にメッセージを飛ばす鳥の風船

毎年話しかけてくれる方々

命を失った人
家を失った人

命も、家もあっても
その体験から普通の生活も困難なほど精神的にショックを受けたという人

生きている私は辛いと言ってはいけない気がします、と
申し訳なさそうに話しをされる方

比べてはいけない
受け止め方も乗り越え方もみんなそれぞれ違うので
焦らず ゆっくり 応援していきたい
とMINMIは言った

そして夜は今年も「忘れない3.11」を仙台Rensaで開催。

MINMI / RED SPIDER / KENTY GROSS / BES / 若旦那 / ATTACKDEM
で会場を涙と笑いと感動とパワーをいっぱいにした

忘れない3.11活動レポート
【2017.3.11】

震災から6年

MINMIはこの日朝一で福島に向かった
風は強いが青空な朝

LOVE FOR NIPPON主催のSONG OF THE EARTH FUKUSHIMA 2017 311
が郡山市の仮設住宅で行われ参加した

そこには150名ほどの方が住まれていた

強風が吹き荒ぶなか譜面が飛んだりしながら
ピアノで弾き語りライブをした

とても短い時間だったが
生きている喜びを噛みしめて
普段できない曲をうたった

その後、仮設住宅に住まれている方のお話を聞いて回り
宮城県名取市閖上に向かった

今年も毎年行われている追悼式に参加した
1年前から慰霊碑に変わりそこで2時46分
黙祷をする

大きくなるサイレン
心を大きく揺さぶられる

生きていること
感謝して
あなたの分も もっと生きます

そう、MINMIは鳥の風船に メッセージを書いて空に飛ばす

そして夜は「忘れない3.11」仙台Rensaに
MINMI / RED SPIDER / KENTY GROSS / BES / APOLLO / ATTACKDEM
が集まり会場を笑いと涙でいっぱいにした

開会にはピンク帽子のドレミファソを歌った
閖上のわかば幼稚園で当時の園児のママ代表として出会った大宮さんに話しをしていただきました

大宮さんは
レクイエムの歌詞にも励まされてと言ってくださり
FREEDOMは毎年来れるようになり大声で笑えるようになった
と言ってくださった

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